二代目素練〜言霊〜

癒心庵 素練(ゆしんあん すねり)の備忘録的言霊。

2016.01.09 Saturday

レイキへの誤解。

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    レイキを新興宗教のように捉えてしまっておられる方が多い。
    それはとても理解できます。
    実際に体験をし、そしてそのなんらかの効力を体感された方は
    その違いを実感されます。
    (宗教を否定しているわけではございません。違いという言葉を使うのは適切ではないかもしれませんが、
    レイキはあくまでもご自身の『力』であるという意味での違いです』)

    多くの神社などの御神仏は『鏡』が多いと聞きます。
    要は自分に願いをかけるという解釈もできます。

    レイキは
    宗教でも医療行為でもありません。
    どちらかというと自己啓発の位置づけに似ています。

    いろんな悩みや、いろんなストレスを
    自らが是正、そして物事の見方を変える事によって
    自分を『前にすすます』事がレイキの大きな役割だと私は思っております。

    コップを横から見れば四角。
    上から見れば丸い形をしています。

    現世を生きて、そしてその流れに乗る上で
    いろんな『形』を見ていきます。
    そのうえで自分に適した行動、
    自分のとって『幸せな道筋』を
    誰に教えられる事無く、
    自分で探り、自分で解決し、
    そして『幸せ』に向かっていく事を
    大きな目的にしています。

    自分で自分を癒す事ができる。
    これが私ども『素練 rei-ki〜浄』の大きな目的です。

    神頼みでもなんでもありません。
    自己啓発をし、自らが前に進まなければ何もはじまりません。
    そのためのきっかけを作り、
    そのために自分を奮い起こしていくためのメソッドとなります。

    前に向くため。
    大事(おおごと)な事。大事(だいじ)な事を。
    大切に扱う自分になるために
    どんな事がおころうが守り、護り、衛る為に。

    それが
    私たちの考え方です。
     

    10:17 | - | comments(0) | - |
    2015.10.25 Sunday

    自分と向き合う為に。(2)

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      奥の院まであと864m。

      いままで登ってきた道のりの距離とほぼ一緒です。
      登れるんだろうか?
      そう一瞬だけ頭によぎりました。
      しかし、次の瞬間は
      やってみないとわからない。ダメで元々。
      こんな腰と踵できたんやし、やるだけやればそれでいいし、
      ここで言い訳を用意して帰るよりもぶつかればいいと考える事にしました。

      本殿金堂の左側から奥の院に入れる道があります。
      貴船神社にも抜けられるために何人かの方もそこに入っていかれます。

      本殿からちょっと足をいれただけで、
      そこの空気が少し変わりました。
      本殿で十分の休憩をとった私、心臓も呼吸も落ち着いています。
      水分の補給もちゃんとしました。

      ところが目眩らしいものが...。
      頭が少しまわる感じがして来ました。

      何かを感じだしています。

      長い階段をひたすら登ります。
      長い。
      長い。

      とてつもなく長い。

      先ほどのおごりの感じも捨て、
      休憩をしながらゆっくり登っていきます。

      手すりをつかみ、時に腰をのばしながら。


      ようやく、これより奥の院という標が見えました。
      まだこれからなんやなと。

      くさくさした感情はありませんでした。
      ただただ一歩一歩足をだすだけです。

      この標から道がかなり変わりました。
      木の根っこや
      石。

      とにかく登りにくいです。

      でもただひたすら一歩。

      そしたら急に下りがきました。

      まるで海で沖に向かって泳いでいるようです。
      坂の下り、ましてや山の下りは膝にきます。

      そして、何よりも帰りはこの坂は登りに変わってしまいます。

      まさしく人生と同じなのかもしれません。
      登りあれば下りあり。平坦な道などない。

      ここをいかにクリアするか?

      今まで歩んで来た自分の過去とだぶりました。
      こけないように。
      つまづかないように。
      体力を温存できるように。

      下りの時休憩を多めにいれました。

      何か建物が見えてきました。
      奥の院についたのか?と....。

      そこは義経堂と僧正ガ谷不動堂でした。

      一瞬のゆるみがまた出てきます。

      ここやとおもたのに。

      そして、また登りが待っています。

      此処からも木の根っこの道が続きました。


      立て看板の解説には
      地面が固すぎて根が地面にいかずに、
      上に伸びてしまっていると記されていますが、
      私の解釈では磁場がずれてるような感覚がありました。

      相変わらず、頭がくらくらしております。

      そしてまた下り。
      前後に人は誰もいません。
      iphoneから流れてくる曲にただただ涙だけ流し、
      自分の過去と対峙していきます。

      まさしく霊氣をうけている時と同じ感覚であるいておりました。

      そしてやっと奥の院へ。

      20分から30分はいたでしょうか?
      何人もの方が瞑想をされていたり
      ヨガをされていました。
      なんともいえないパワーを感じさせてくれます。

      ここから貴船に下るのは573M
      もとの自分の来た道をもどるのには1973mと記されていました。

      携帯の電波もとどきません。

      しかし、不安は何もありませんでした。

      同じ道を戻ります。
      登って下って、そしてまた登ります。

      本殿まで戻った時に
      行きとはちがった心の落ち着きがありました。

      一度見た景色だからかもしれません。

      心に余裕がありました。

      行きには見る事ができなかった心。
      それが帰りにはありました。

      同じ道をどんどん下り、
      もうすぐ由岐神社やという所の手前で、
      『いのち』というモニュメントをみました。
      これも行きではみる余裕さえありませんでした。
      そこに記されているのがこれです。

      まさしく霊氣の考え方と同じでした。

      これは是非ヒーリーの方々にみてもらいたいものでした。

      人生にはいろんな事があり、
      過去があり、今がある。
      そしてそれらの未来があります。

      変えられない過去を
      今の自分の考え方や捉え方で
      少しでも良い方向に持っていければ
      どんなに幸せでしょうか?

      いっぱい泣かして、
      いっぱい裏切って、
      いっぱい迷惑をかけた人たちに
      どう償っていけばいいのか?

      自分をそう縛り、どういじめていけばいいのか?

      そんなことばかり私は考えていました。

      普段から運動をされている方にとって
      この鞍馬山程度の距離や高低差の山など
      なんともないものでしょう。
      客観的にみても考えても
      大した事ではないのは十分承知しております。

      私にとって初めての経験。

      これが大事なんだなと気づきました。

      一度失敗してもいいからトライしてみる。
      そうするとどこでどのように休憩をして
      どこで何をすればいいかも理解できます。

      一度でダメな事でも
      何かの指針が見えてきます。

      二度目もダメならば三度目挑戦すればいい。

      そうおもいました。

      そこで得た失敗は必ず
      いつかの成功に導かれる。

      そして、ちょっとちょっと前にいき、進歩すればいいのだと。

      一番いけないのは、
      言い訳や、横着。
      自己弁護。
      これがなによりも一番の邪気かもしれません。

      それに気づくうちはいいのでしょうが
      それが気づかない程自分が斜めになってしまう場合もあります。

      自分に課す試練を自分自身で対峙し、
      それに向かう。

      修行とは
      自分を課せなければできないことかもしれません。

      また私は登ります。

       

      15:23 | - | comments(0) | - |
      2015.10.22 Thursday

      自分と向き合う為に。(1)

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        2015年10月19日。
        53歳の誕生日をむかえました。
        たまたまうまい事月曜日。
        この日は前もって全ての段取りを調整し、
        自分の浄化の為の日にしようと決めておりました。

        素練(すねり)のreiki-浄のヒーラーとしてではなく、
        いち個人として
        『節(ふし)』としてのけじめをつける事と
        やりたい事をやれるようにするためにやるべき事をしようと思っておりました。

        早朝に起きて
        亡き父の墓参り。
        誕生日は両親に感謝する事。こう思え出したのはまだ数年前からです。
        祝ってもらうのではなく
        生んでくれた事を感謝する日だと。

        休みといえば家族と一緒に行動する事がおおい私。
        今日だけは妻にも子供にも事前に許可をもらい
        一人で行動させてくれました。

        父の墓は曼殊院の近く。
        朝の太陽がちょうど楓に映えます。
        紅葉にはもう少し。

        母の病院を二件いき、そのあと鞍馬山に登る事をいいました。
        私の持病の腰痛と、持病以上に悪い足の踵の事を気にしてくれました。
        普通の運動量と変わらぬ登山だとなんとかごまかしましたが、
        実際には自分の踵に不安はありました。
        毎日の仕事でも踵にはクッションがはいったサポーターを両足に履いて仕事をしています。
        それでも夜にはジンジン痛み、鎮痛剤を1日に二回は飲まなければなりません。

        しかし、霊氣のおかげでその痛みをうっとうしい物とは思わず、
        生きていく上でがんばる指針にまでは出来る様になっているのは本心です。
        ですので、今日はなんとしてでも鞍馬山に登ってみたいのです。

        車で鞍馬寺の下まで。
        書道の先生の本庵もこの鞍馬寺の麓ですので、
        この辺はよく知っており、よく蕎麦を食べにきておりました。
        鞍馬寺の山門までは何度も来てましたが、そこから先に足を伸ばすことはしておりませんでした。
        霊氣の発祥がこの地である事は霊氣を学んだときから存知でおりました。

        霊氣を始め、いろんなシンボルやマントラを学び、
        3つ目のマントラとシンボルで頭を打ちました。

        この3つ目のマントラとシンボルを克服するためには、
        気ではなく、氣をとおもい、
        ヒーリーさん達にヒーリングをする事で
        ヒーラーとして、そしていち個人として3つ目のマントラとシンボルを克服していっております。
        でも正直この3つ目に対峙していくのには怖さがありました。
        自分の過去と未来。特に過去に関して向き合う怖さは尋常ではありません。

        ヒーリーさんたちと接する事で自分の事を克服していくだけではダメだ。
        いつかは自分の高次と対峙しなければと....。

        それがちょうど53歳の誕生日にと。
        そして53歳を此処からはじめようとおもいました。

        ケーブルが来年の春まで運休はしっており、
        駐車場でも鞍馬寺の山門でも『停まってますよ』っていってくださいました。

        『お前にあがれるのか?』ってきかれたような気分でした。

        いわゆるこの山門(仁王門)から由岐神社までで
        私の体力はほとんどが消耗されました。

        ベンチに座り、引き返す事を現世個体の私は考え出してます。
        言い訳はどんな風にでもできます。
        足が痛かった。腰がいたかったなど。
        そうそう。ネットで鞍馬山や鞍馬寺を検索して写真だけパクって登った事にしたらいい。
        そういった考えまででました。
        仁王門からまだたったの267mです。

        由岐神社は鞍馬の火祭りの神社です。
        それで有名なのでしょうお年寄りたちが写真をとって
        笑顔で会話をされ、そのまま次のため上に上がっていかれます。
        私より年配の方が休むことなくです。

        ここでまた邪気です。
        負けん気だけが先走ります。
        それで奮起といえば聞こえはいいですが
        ただただ格好が悪いという気持ちだけで立ち上がりました。

        由岐神社から本殿金堂までは791mあり、
        九十九折り参道(つづらおり)です。
        枕草子にある、近くて遠き道。
        くねくねと曲がってのぼる道です。

        緩やかな登りですが、まっすぐいっては曲がり、またまっすぐいっては曲がる
        つまり右を見れば上の道が見えるのです。

        ショートカットできるやん。
        このショートカットはきついこう配やけど、時間は短縮できるし
        どっちがしんどいんやろという計算が私の中ではじまります。
        邪気です。

        仕事上、いろんな事を計算します。
        要領、容量、段取り、はしょり、得意な分野です。

        目的がずれだしてきてます。

        となりをお年寄りの女性の方が二本の棒を持って追い抜いていかれます。
        笑顔で会釈して抜いていかれました。

        体力の無い私も精一杯の笑顔で返します。
        これも意地でした。不細工な話です。

        しばらくなんとか歩き、
        先のベンチにそのご年配の女性が座っておられました。
        そこで私は休憩を取らずに前に進めば
        その女性よりも先に行く事になります。
        でも無理でした。

        私はその女性の隣に座りました。

        たわいもない事を話し、笑顔で会話をしながら
        自分の心臓のバクバクをしずめ、のどの乾きを水で潤わせ、
        抜かれていったのはトレッキングポールのようなものを持ってなかったからやという風に
        自分を慰めだしました。
        邪気です。

        この女性よりも先にあるきださなければ.....

        その時、女性が一言
        『無理したらあきませんよ。』
        『理がなくなりまっさかい』と。




        ってなんやろ?と考えました。

        しばらくして
        理=おさまる
        だと解釈しました。

        おさまらなくなる意味だと。

        女性は先にベンチをたたれ、
        笑顔だけ残して登っていかれました。

        私はまだベンチに。
        若いカップルが山を登るような格好ではないのに、
        するすると登っていきます。

        母と同じような年齢の女性も登っていかれます。

        私は、いろんな邪気を持っていて
        それに対峙しにきた
        だから私の高次はこれに向き合わせてくれているのだと気付きました。
        要領をかましたり、言い訳を用意したり、
        ええ格好しいの自分がでたり...。

        全部やめました。
        しんどくなったら止めればいい。
        吐きそうになったら吐けばいい。
        しんどくなったら帰ればいい。
        叫びたくなったら叫べばいいと。

        十分な休憩をしてなんとか立ち上がれました。
        Iphoneのイヤホンから流れてくる音楽が景色と重なっていきます。
        バカみたいに涙がでます。
        なんで泣いてるんやろと他人に見られたら変。でも
        もうそれもいいんです。
        しゃくり上げる程の手前まで涙がでます。
        いろんな事がおもいだされます。
        『後悔はするな、反省はきっちりしろ!』とコンサルでは良く私は言ってました。
        それはビジネスです。
        個人の私は後悔ばかりです。
        変えられない過去をいっぱいもってます。

        それと対峙しにきました。
        それを対峙しに行く事を母も、妻も理解してくれています。
        そこでもしパニックがでれば...。それも覚悟の上できました。

        1歩が何センチ、あと何歩で本殿。
        またそんな事が頭によぎります。
        それもやめました。

        とにかく一歩。
        とにかく一歩。

        その一歩一歩が踵と腰に響きます。
        自分を叩いているように感じます。
        それはうけなければいけない痛みなんやと自分に言い聞かせ、
        耳にはいる音楽で増長され涙を出します。

        デトックス。

        泣かしてくれてます。
        私の高次が。


        本殿金堂に着きました。

        何人もの方が、この本殿金堂の前で霊氣をなさってました。
        宗教に偏らず門戸をひらいていらっしゃる鞍馬寺。
        いろんな方がいらっしゃいました。
        海外の方も多く、ヨガをなさっている方もおおかったです。

        私の目的はここからまだ先の奥の院。
        なぜでしょうか?この本堂ではまだ氣的なものは感じませんでした。
        気に関しては此処までの道のりで十分感じましたが
        氣はまだ感じません。

        目指すは奥の院。
        あと864mです。

        続く

        16:57 | - | comments(0) | - |
        2015.07.28 Tuesday

        邪気

        0

          『す〜さんはreiki~浄のヒーラーやし
          邪気にまみれはらんでええね〜〜』って
          いわれます。

          素練本庵時代からのヒーリー様たちは私の事をす〜〜さんって呼ばはります(汗)

          とんでもありません。
          実はかなりの邪気にまみれています。

          まず、もう6年も7年も続いている母の介護。
          常に腰が痛い状態の母の口からでるのは
          良い言葉はでません。これも邪気です。

          謎の蕁麻疹が続く娘。
          それを見守る嫁。
          明るくしてはいますが、
          なかなかの重い空気が漂います。
          これも邪気。

          訪問散髪先のお客様。
          ご家庭の不和を感じる時も多々あります。
          これも邪気です。

          そして毎日接するお客様からもいろんな愚痴や発散をいただきます。
          これも邪気なんです。

          これをまともに心に受けてしまいます。

          そうすると
          爆発しそうになります。

          かなりの邪気のオンパレードです。

          全部を受け止めてそれを考え、それを自分の中でうけとめていきすぎると
          此方がパニックになってしまいます。

          私は毎朝早い時間に店にいって
          まず窓をあけます。
          そしてお香を焚きます。

          そして、自分自身の身を守るために
          乾浴をし、自分の高次とつながり
          自分をオーラで包みます。

          乾浴は一日のうちに何回もします。

          これで何が起きているのか?

          実は考え方や受け止め方が変わっていきます。

          邪気のネガな言葉を全部ポジの言葉に置き換えてうけとめていけるようになります。
          普通ならばこっちも爆発してしまいたいぐらいの言霊を
          私は前向きにとらえる事ができるようになりました。

          これがrei-ki〜浄のパワーです。

          すべての物事をそのパワーでネガ→ポジにもっていくようにしています。
          たまらんぐらい腹立たしい言葉をよくよくかみくだき、
          笑顔で返します。笑顔にはポジエネルギーがあります。

          『笑』と言う事はとても良い浄化作用があります。


          だから笑う。

          でも邪気はどんどんきます。

          だから祓います。
          そして笑顔でいられるように努力します。

          その根源は
          rei-ki〜浄にあると思っています。

          16:22 | - | comments(0) | - |
          2015.07.22 Wednesday

          全てが必然。

          0
            自分の身に起こる事に
            偶然はありません。

            全て『必然』です。

            全ての人には
            邪気を浄化できる自然の作用があります。

            しかし、邪気を祓う事が
            自然にできない場合があります
            邪気が邪魔をして
            その自然の浄化作用をさせないようにしてしまうからです。

            その邪気をどう祓うか?

            それは全て自分の力で行う事ができます。

            それは
            自分自身で発見し
            そして行動する以外はありません。

            その静かなる心を自分で発見し、
            そしてコントロールする力を身につける必要があります。

            まずは、
            自分を『許す』
            人を『許す』事からはじめていかなければなりません。

            人が自分にする邪な行動は
            全て自分への必然なのです。


             

            15:21 | - | comments(0) | - |

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